母国語ガチャについて思うこと

大学生




 

※ほぼ自分の頭の中を整理するための記事のため、かなり読みにくいと思います

 

大学1年に留学、インターンなどでイギリス、アメリカ、香港、中国、タイ、ラオスと色々回っていたのですが、そこでふと思ったことがあります

日本語を母国語にして生まれるって、ガチャでいうところの当たりなのか?

星はいったいいくつなんだろう

いろんな国に訪れてたくさんの言語に触れることで、これについて思ったんでそれぞれの言語の特徴やメリット、デメリットに合わせて自分の考えを話していこうかなと思います

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英語

YouTubeなんかを見てもらうとわかると思いますが、日本で1番登録者が多いYouTuberでさえ700万人前後ですが、英語圏で有名なYouTuberなんかは2000万人登録者とか普通にいますからね

いかに英語圏の勢力が強いかがわかります

まあ、戦争で勝った国が使っていた言語だからというのが英語人口が最も多いという1番の要因だと思いますが(間違ってたらすいません)

単純に話す人口が多いというのは色々な点で便利なんで、僕も一応学んでいます。

例えば、自分はプログラミングにはまっているのですが、エラーを解決するため解答を探す時にググることがよくあります。しかし日本語で探していると、時々回答が見つからない時も。そんな時に英語でググってみるとあっさり答えが見つかるなんてことが結構あります。やはり言語人口が多いとそれだけ知識が詰まっているので、便利です。

他にも、旅行をする時など基本的にはどの国いっても英語が少し話せさえすればなんとかなります。英語を話せる人がほとんどいないラオスでさえ、英語があればどうにかなりました。(ラオスで日本語は一切伝わりません笑)

もう1つ英語が便利と思う理由として、敬語がないことです。日本では年が上の人と話す時、偉い人と話す時など必ず敬語が使われます。どうしても敬語で話すと、それが相手との壁を作り出すことに繋がり縦のコミュニケーションが取りにくくなることが多くなるでしょう。(部活での先輩と後輩のように)

しかし、英語には敬語がないので縦の繋がりで話をする際に非常に便利です。僕はイギリスにいるときに、徹底してバーに通っていろんなおっさんたちに話かけたりしました。年齢層としては40歳〜70歳くらいの人たちがたくさんいましたが、敬語がない為に日本ほど窮屈さを感じることなく、逆に相手もフランクに「お!バカそうなガキがきたぞ!」くらいで話をしてくれました。このように敬語よって生まれる弊害がないというのも英語が便利だなと思う点です。

 

おぉ!英語めっちゃいいじゃん!

と思う人もいるとは思いますが、実はそうでもない点もいくつかあります

 

「言語人口が多い=知識が集まりやすい→勉強するのに便利」というのは確かに成り立つのですが、知識が集まりやすいということはそれだけ色々な面での競争も激しくなっていきます

例えば、先ほどあげたYouTube。英語圏のYouTuberの登録者が法外なのに比例するようにクリエイターの方でも熾烈な登録者獲得争いが繰り広げらているのも事実です。

日本では視聴者も少ない代わりに、クリエイターが少ないので古参でも英語圏に比べると上位層に食いこむために視聴者をとるという点においては難易度は下がります。

もう1つ僕が感じた点は宗教です。

日本では「自分は仏教徒だからクリスマスにケーキは食べない」という人はあまりいませんね。しかし英語圏では(主にクリスチャン)が多く、土日は必ず協会にいってお祈りをするし、何か自分に不幸があった時には必ず神様が守ってくれると本気で信じている人も少なくありません。

この点は文化の違いなので特に問題はないです。

しかし、時々これをバカにしたり、お互いに罵倒しあったりすることがあります。

実際にあった例でいうと、とある英語圏YouTuberがゲーム実況中にたった一言だけ宗教差別的な発言をしたことがありました。その際には殺害予告がでたり、スポンサーが数社降りるなど大問題に発展してしまいました。

もっと大きな問題で見ると宗教戦争など。もちろんこの問題は英語圏の人だけに限る話ではありませんが、英語人口は多いのでこういった問題はやはり起こりやすのは確かです。

日常的な会話でも、宗教に関した言葉は気をつけなければならず、英語圏で育っていたら面倒臭かったんじゃないかなーなんて思ってしまいます。

 

日本語

日本人は基本的に日本語しか話すことができなくても、一生生きて行くことができます。

まず日本人がどうして日本語だけで生きているのかというと、日本語だけで完結するコミュニティがあるからなんです。生まれてから、義務教育を受けて、働いて、死ぬまで。

実はこれは当たり前のようで、意外とそうではないんです。例えばヨーロッパでは(特に内陸国では)ドイツ語、イタリア語、ポルトガル語、英語、フランス語と様々な言語が飛び交います。そんな中で生きていかなければいけないので少なくとも二か国語以上を学ばなければいけないことがほとんどです。

しかし、日本では違う。日本語の特徴として保守的というのがあります。(鎖国とかの歴史的な問題もあると思うのですがそれはとりあえず置いておきます。)その理由としては先ほど英語でふれた「敬語」のような側面で、言語によって上下を見分け、且つ自分たちもそれに従うという側面があるからです。僕は言語がその国の性格を決めると思っているのですが、この日本語の保守的という特徴が、日本での年功序列や終身雇用といった守りの体制を作って来たと考えています。デメリットについてはあとで「敬語」とともに詳しく話します。このメリットとしては、長く同じように働いてさえいれば誰でも地位を獲得できてしまうこと。たとえ能力がなくともです。人にもよりますが、考えることをしなくても上に上がれるというのは大きなメリットだと思います。

また他の日本語の特徴として極めて細かい表現が可能という面があります。

例えば、歌の歌詞。英語の歌詞を日本語に訳すのはすごく簡単ですが、逆は意外と難しかったりします。その理由が先に挙げた細かな感情の表現が可能という点があります。英語の一文に対して、日本語には様々な選択肢、表現方法があるので訳すのが簡単なのですが、日本語の細かい表現に対してそれに対応する英語の表現がないということが結構多いんですね。

つまり、日本語ではすごく微細な表現が可能なんです。普段話していて意識することは少ないと思いますが、日本人が話す普通の会話の内容は英語などと比べるとかなり細かい表現が入っていたりします。

細かい表現ができるというのはこのように人間の感情の機微を表せるメリットもあるのですが、デメリットもあります。

例えば、哲学を授業等で学んだりした際にすごく複雑で理解できなかったという経験はありませんか?これは哲学という曖昧なものを機微の表現を得意とする日本語で学ぶために起こる問題だと僕は思います。逆に英語には抽象的な表現が得意という特徴があります。英語で哲学を学んでみるとわかると思うのですが、日本語の100倍ほど理解がしやすかったりします。これが細かい表現を得意とする日本語のデメリット。

また冒頭でも述べたように日本語に置ける保守的な特徴の社会的デメリットとしては、変革が起きにくいということ。「出る釘は叩かれる」日本には古くから、この風潮があります。これは先に英語の部分で話した「敬語」とも関わって来ます。保守的な言語、社会体制に置いては「能力」ではなく言葉から均質化していこうとする風潮があります。どんなに能力やスキルがあっても、押し潰される、もしくは押し潰されやすい環境がある。それを作ったという意味でデメリットかなと思います。

そして最後にもう1つ僕が思う日本語のデメリット。それは「音」の少なさです。例えば中国語には5つの音があります。日本語には1音しかありません。これが何を表すかというと、他言語を学ぶ際に障壁となってしまいます。相対的にみて、日本人の英語の発音は悪いです。これはこの「音」の少なさが関係しています。普段から話している日本語に、耳や口が慣れてしまっていれば音が多い英語などを習得する際にむずくかしく感じるのは当たり前です。逆に普段から5音に慣れている中国人は英語の習得が早く、発音もアジア訛りはあるものの相対的にみて良かったりします。

これらが僕の考える日本語のメリット・デメリットです。

ラオス語

僕が行ったことある国で1番人口が小さく、マイナーな言語なので選びました。

ラオス人は人口が700万人もいません。テレビで流れてくるのはタイ語の番組だけです。

それが何を意味するのかというと、言語としての力の無さです。

ただし、そこにも英語や日本語のようにメリット、デメリットあるとは思います。ラオス語についてはデメリットの方から。

デメリットはコミュニティ(言語人口や経済市場)が小さ過ぎる為にビジネスの挑戦の自由が少ないということ。

少し話がそれますが、日本で最も時価総額の高く、世界に名前の売れている会社といえばTOYOTAです。それでも世界的に見れば、50番目ほどの会社になってしまいます。上位層はAppleをはじめとする英語圏がほとんど、他は中国語圏の企業が少しあるくらい。(もちろん例外はありますが)これは対象市場の大きさを示していると言ってもいいと思います。言語が通用すれば、それだけ対象となる市場に参入しやすいですし、顧客獲得の難易度も容易になります。

言語によるビジネスチャンスの差は大企業だけではなく、個人においてもあります。例えば、アメリカで日本人が就職をする場合とても難易度が上がるというのが事実データであります。もちろん能力があればどこまでもいけると言ってしまえばそれまでなんですが、全体として見たときに日本人がアメリカで就職することは難しいと言えるでしょう。その原因の1つが言語の壁だと思います。僕が考える仕組みとしては

言語人口が少ない→世界に出る人も少ないor出ても評価される確率が下がる→日本人のブランドが作られにくい→日本人への評価が上がらない→相対的に日本人の就職が難しくなる

日本人ですらこの状況にある。そんな中でラオス語、ラオス人というのは日本人の10分の1以下の人口で勝負をするわけですから企業としても個人としてもチャンスはやはり小さくなります。国に力があれば、テクノロジー分野で資金を使って技術開発をして革新的な技術を作ることなどができるのですが、なにせ国の力も弱く今の所、中国におんぶに抱っこといった印象で自国の成長というのはまだまだ時間がかかるためビジネス面ではそもそも挑戦するチャンスがないといった厳しい状況であるのも間違いはありません。

逆にこういった状況だからこそのメリットもあります。

それは、競争がほとんどないということです。英語や日本語においては、それらを使って行うビジネス、国家間の問題等で必ず熾烈な競争が起こります。これは必然で英語、日本語というそれぞれのコミュニティが強大過ぎるためです。

しかしラオス語ではそもそもそういった競争環境がない。僕がラオスを訪れて感じたのは、みんな精神的に幸福度が高いなという印象です。仕事は具合が悪かったり、めんどくさければ基本的にはお休みしてしまいます。働いていても、能動的な働きはしません。言われたことだけを適当にこなす。その他の時間はyoutubeを見て、同僚と話して1日が終わる。(もちろんそうでない人もいますが、僕の会った従業員はそうでした。)

競争がなければ成長がないのはもちろんなのですが、彼らの精神的な幸福度の高さをまじかで見ていると日本で感じるような緊張感みたいなものは感じることなく自由に過ごせるという点で僕はこれをメリットと取れると思います。

まとめ

マジョリティの英語、中間層の日本語、マイノリティのラオス語やその他の言語、それぞれ一長一短といったところでしょうか。そんな中で僕は日本語の言語ガチャのレベルは最上級だと思います。通用するのは日本だけなものの、国内の日本語コミュニティが大きい為に、どの分野においても勝負ができる。つまり挑戦権があります。言語がマイノリティすぎる国はそもそも挑戦権がありません。英語に関しては、挑戦権はありふれているものの、競争が熾烈すぎる。その点で日本はバランスの取れたちょうどいい位置付けにあるのではないでしょうか?また、日本語の感情を機微に表すことのできるといった点や、品の良さが溢れる丁寧さというのは他言語が持つことのできない、能力だと思います。こういった部分を見てもやはり日本語は世界的に見てレベルの高い位置にいるのではないかと思います。

上で書いたことはもちろん母国語としての単一言語での話です。他言語を習得すれば何かと可能性は広がるのは確かです。しかし、日本語単体で見ても他言語と比べて可能性にあふれていることは確かです。こんな可能性あふれる日本語に生まれたのだから、それを使って何も挑戦しないのはなんかもったいないなーとも感じます。ですので、自分は英語を学びつつもこのブログやその他のツールを使って「日本語」で自分を発信することに挑戦していきたいなと思います。

以上が自分がいろんな国に訪れて考えたり、感じたりしたことです。

読んでいただきありがとうございました。